鉄道連隊の跡

東千葉駅からモノレールの天台駅付近にかけての約2キロくらいの界隈は、戦前まで鉄道第一連隊をはじめ、各種の軍事施設が並び立っておりました。
そのため、当時の千葉市は「軍都」という呼ばれ方をしていたということです。
とてもじゃないけど、この周辺には一般市民が気軽に足を踏み入れられるところではなかったんでしょうね。

これらの軍事施設も終戦間際の2回に渡る千葉市への米軍空襲のため、ことごとく破壊されました。終戦とともに軍部自体が解体され施設の跡は普通の住宅地や公園に生まれ変わりました。
ということで、現在では軍事施設の面影はほとんど残っておりません。
それでも記念碑や当時の建物などが若干ながら残っているということでその跡をたどってみることにしました。

最初に紹介するのが東千葉駅から歩いて10分くらいの椿森町(千葉市中央区)の住宅街の一角に建っている鉄道大隊の碑です。

鉄道連隊跡


鉄道大隊とは、この周辺にあった鉄道第一連隊の前身です。当初は東京に置かれていましたが、明治41年(1908)に鉄道連隊として千葉に移転、大正7年(1918)には2個連隊に増設されたうちの第一連隊となりました。
この鉄道連隊ですが、戦地における鉄道の建設・修理・各種訓練のほか、敵方の鉄道の破壊工作など当時の軍事輸送機関として不可欠であった鉄道を専門とした陸軍の特殊部隊で、太平洋戦争まで主に満州、中国方面で活躍しました。

さて鉄道大隊の碑ですが、ちょっと古めかしいもので碑の文面も漢語調で書かれています。それもそのはず、この碑は千葉に移転前の明治33年(1900)に中国で起きた北清事変(義和団事件ともいわれる)で、中国でで戦病死した隊員たちをしのんで明治時代建てられたものということでした。

すぐそばには鉄道隊駐屯の跡という小さな石碑も立っています。(写真左側の白っぽい碑です)
いずれにせよ、どちらも目立たない存在でそれとわかっていなければ通り過ぎてしまい、じっくりと碑を観察するような人ってやっぱり物好きなんでしょうね。

千葉氏ゆかりの寺院・大日寺と来迎寺

JR西千葉駅からの歴史散歩。千葉大学キャンパスの裏手にある千葉氏にゆかりのある寺院、大日寺と来迎寺を訪ねます。

西千葉駅北口のから千葉大学のキャンパスをぐるりと迂回しておよそ10分くらい、通りをはさんで2軒のお寺が並んでいます。

大日寺

IMG_1779

真言宗豊山派の寺院で大日如来をご本尊としているので、この名がついたようですね。
757年の創建といわれてますが、これは怪しいようで…
実際には1254年に千葉介頼胤によって松戸の馬橋に創建され、1284年に頼胤の子、胤宗によって千葉に移されたという説が有力なようです。(大日寺ホームページより)

移転当時は千葉神社の南側、現在の通町公園の場所にありましたが、昭和20年(1945)の空襲で全焼して、戦後にこの地へ移ってきたということです。

IMG_1775

境内の一角に横一列に並んでいる古い五輪塔は、いずれも鎌倉〜室町時代のもので千葉家16代(常兼から胤将まで)の墓と伝えられています。いずれも空襲の際に被害を受けた影響もあってか墓碑銘等が判別できないので、どれが誰のお墓であるかまではわからないようです。

来迎寺

IMG_1778

道路をはさんで大日寺の向かい側にあるのが来迎寺。やはり鎌倉時代の1276年に千葉氏によって創建されたお寺といわれています。現在は浄土宗で阿弥陀如来を祀っているそうです。この寺も昭和20年の戦災で焼失し、千葉の中心街から移転してきました。

IMG_1777

入口の左側には五輪塔が7基並んでいます。そのうちの1基(わかりにくかったけど確かにあった)に「平氏胤」などと彫られた銘があったことから、室町時代前期の当主千葉氏胤とその一族の供養塔とみられています。

テーマ : 史跡 - ジャンル : 学問・文化・芸術

千葉市立郷土博物館

再び亥鼻城跡にある郷土博物館のお話。
天守閣を模した博物館の中に改めて入館してみました。

さて館内ですが、1階では千葉市の近世および近現代の歴史をパネル中心に展示解説をしています。展示内容はどうということはないのですが、パネル上の当時の地図や写真などを眺めておりますと、現在の千葉市との違いがよくわかります。

2階ではふだんは千葉市の歴史(たぶん1階の時代以前)や民俗の展示を行っているらしいが、羽入館当日は特別展のため、通常の展示物は撤去されておりました。

3階が千葉氏の歴史に関する展示。ここもパネル中心でその他の展示物はほとんど複製品ばかりでしたが、なかなか内容が濃い。もう一度ここで学んでから千葉氏の紹介をするべきだったかなと思ってしまいました。

4階にはプラネタリウムがありましたが、昨年オープンした千葉市科学館に移ったため、ただいま改修中。今後はなにになるのかな?

最上部は展望台になっていて千葉市街のよく眺められます。

展示物自体は特に見るべきものはないのですが、パネルの解説が詳しくて千葉市や千葉氏の歴史がよくわかります。展示解説内容を印刷したシートもあり、持ち帰り自由。全部50枚近くもあってこれが手に入るだけでもうれしい。入館料60円はずいぶんお得な感じがします。

   郷土博物館(千葉城)

                郷土博物館の外観は とても立派なお城に見えますね。

常胤像と千葉城

   博物館の正面に建つ千葉常胤の像。 天空に向かってかぶら矢を放つ姿ということ だが、
どう見ても自分のお城に矢を向けているようだとはよくいわれる話です(^o^) 
「この城は私の住んでいたものとは違う!」と抗議しているかのような…

テーマ : 史跡 - ジャンル : 学問・文化・芸術

千葉城とその周辺

千葉県庁の近くにある亥鼻公園の丘の上にそびえる白亜の天守閣。ここが千葉市の礎を築いたとされる千葉氏の居城であった亥鼻城(いのはなじょう)があったとされる場所です。 

千葉城

平安時代の末期、大治元年(1126)に千葉常重がこの地に移り住み、以後一族の内紛により康正元年(1455)に落城するまでのおよそ330年間にわたり、千葉氏代々の拠城となり、千葉の町はその城下町として繁栄してまいりました。
ちなみに常重の子が源頼朝を補佐し、鎌倉幕府の創設に多大な貢献をしたといわれる千葉常胤です。

さて、現在は一般に千葉城と呼ばれていますが、千葉氏の時代にこのような天守閣が存在したわけではなく、当時の城は小規模な普通の住宅や櫓のある館が建ち並ぶ中世城郭であったとされています。

この天守閣は昭和42年(1967)に建てられた千葉市立郷土博物館で、千葉市の歴史や千葉氏ゆかりの資料などが展示されています。入館料60円という料金でいろいろと学べるので割安かもしれませんね。最上階の展望所からは千葉の街が眺め渡せます。
また周辺は千葉市でも有数のサクラの名所で、お花見の季節にはたいへんな人出でにぎわいをみせています。

実際の亥鼻城の遺構は都市化の波に押されて、あまり残っているとはいえないようですね。それでも周辺では発掘調査も随所で行われているようです。調査が進むとともに現在残っている遺構は千葉氏がこの地を離れた後の戦国時代のものであるという説が有力になってきているようです。
千葉氏が本拠を構えていた当時は、もう少し千葉の中心街寄りの平地に館を構えており、亥鼻城は非常時のための砦のような存在であったのかもしれませんね。

模擬天守閣の南側の広場には土塁が残されており、これが当時の亥鼻城の数少ない遺構のひとつとされています。

<亥鼻城の本丸跡といわれる土塁です>      <こちらは近くに建つ亥鼻城跡の碑です>

   亥鼻城本丸跡    亥鼻城跡碑              

その他の周辺スポットを簡単にご紹介します。

  <お茶の水> 
     お茶の水


亥鼻城の北の麓にある湧き水の跡。現在は湧出が止まり、水道の水で形ばかり残されています。
千葉氏の祖・平良文の子忠頼が生まれたときに、この泉が湧きだしたと伝えられ(良文の代は千葉にはほとんど関わりないので全くの作り話でしょう)、千葉氏は代々この水を産湯とし、一門の繁栄を祈ったとされています。
治承4年(1180)、源頼朝が亥鼻城の千葉常胤の館に立ち寄ったとき、常胤がこの水で茶を献じたと伝えられています。(実際に頼朝が千葉館に立ち寄ったかは定かでありません)。

<七天王塚>  
    七天王塚
亥鼻城の東側にある千葉大医学部周辺に散在する七基の塚。いずれも牛頭天王を祀っています。千葉氏の守護神である妙見信仰に関係のある北斗七星を形どったといわれています。その他にも平将門とその影武者の墓など諸説あり。大学構外の道路脇に2基、構内に5基の塚があり、7つの塚を探し歩くのもオリエンテーリング感覚でおもしろいかもしれません。ただし、粗雑に扱うとたたられるとも!?

テーマ : 史跡 - ジャンル : 学問・文化・芸術