天台駅 歩兵学校跡

前回の気球連隊の跡から天台駅方向へ進み、国道126号線へ戻ります。
天台駅の少し手前にある作草部公園は、かつての陸軍歩兵学校跡。
現在は木に囲まれた緑の木陰がいっぱいの小公園です。

作草部公園・平和の礎

公園の奥にある平和の礎の碑。 ここに陸軍歩兵学校があったことを伝えるものです。
鉄道連隊、気球連隊、歩兵学校とこのモノレール沿線は、まさに旧軍都にふさわしい施設が建ち並んでいたことが想像されます。

天台駅 千葉都市モノレール2号線

天台

作草部公園からすぐ近くにある天台駅。こちらも国道126号線をまたぐように駅があります。
下は駅前の風景。左手の木が茂っているところが作草部公園です。

天台駅前

作草部駅 気球連隊の跡

千葉都市モノレール2号線

作草部

千葉公園の次の駅。国道126号線の上に駅があります。

作草部(駅前2)

駅前の交通量はなかなか激しいです。交差点を右側に進むと10分くらいでJRの西千葉駅です。

この周辺にあった気球連隊、これも陸軍の特殊部隊です。
読んで字のごとく、気球を使用した軍事行動に従事した部隊で、太平洋戦争末期には気球に爆弾をつけて飛ばすという「風船爆弾」の製造を手がけております。
実際に福島、茨城、千葉の3カ所からこの風船爆弾が飛ばされ、うちいくつかは太平洋をはるばる越えてアメリカ本土まで届いたそうですが、あまり爆弾の効果はなかったらしいですね。

気球連隊の格納庫が川光倉庫という会社の倉庫として、当時の姿のまま現在でも使用されています。数少ない現存する軍事施設の跡です。

川光倉庫・気球連隊跡

<川光倉庫に残る当時の気球連隊格納庫 さすがに大きい>

千葉公園駅

千葉都市モノレール2号線

千葉公園(2)

鉄道連隊の記念碑などをあとに、モノレールの千葉公園駅に出てまいりました。
これからはモノレールの沿線をたどって軍事施設の跡を訪ねていきたいと思います。

千葉公園駅は千葉〜千城台を運行する千葉都市モノレール2号線で、千葉からひとつめの駅です。その名の通り、千葉駅周辺の市民の憩いの場、千葉公園のそばにあります。

千葉公園(駅前1)

1枚目の写真の出口を出たところ。この奥が千葉公園です。

千葉公園(駅前2)

こちらは表通り側の作草部駅方面の駅前風景です。この先、千葉公園に隣接して競輪場があるので、レース開催日にはこの駅を利用するお客さんも多いでしょうね。

駅名にもなっている千葉公園。実はここも軍事施設の跡だったのですね。
終戦前は鉄道連隊の演習場、すなわち鉄道敷設などの訓練場所で、現在も当時造られたトンネルや鉄橋の架橋の跡などが公園やその周辺に残されています。(写真がないのが残念)

今は千葉市民の憩いの場。公園の中心にある綿打池ではボート遊びを楽しむ人たちがいっぱいです。傍らには2000年前の種子からよみがえった大賀ハスが植えられている蓮池があります。蓮池のたもとには大賀ハスの資料を展示する蓮華亭がありますが、また内部を拝見していません。

かつての軍事演習場から憩いの公園へ。戦争から平和の時代への移り変わりを感じさせてくれます。公園を訪れる大半の人たちはそんな歴史をご存じないでしょうね。平和な社会に感謝です。

鉄道連隊の跡

東千葉駅からモノレールの天台駅付近にかけての約2キロくらいの界隈は、戦前まで鉄道第一連隊をはじめ、各種の軍事施設が並び立っておりました。
そのため、当時の千葉市は「軍都」という呼ばれ方をしていたということです。
とてもじゃないけど、この周辺には一般市民が気軽に足を踏み入れられるところではなかったんでしょうね。

これらの軍事施設も終戦間際の2回に渡る千葉市への米軍空襲のため、ことごとく破壊されました。終戦とともに軍部自体が解体され施設の跡は普通の住宅地や公園に生まれ変わりました。
ということで、現在では軍事施設の面影はほとんど残っておりません。
それでも記念碑や当時の建物などが若干ながら残っているということでその跡をたどってみることにしました。

最初に紹介するのが東千葉駅から歩いて10分くらいの椿森町(千葉市中央区)の住宅街の一角に建っている鉄道大隊の碑です。

鉄道連隊跡


鉄道大隊とは、この周辺にあった鉄道第一連隊の前身です。当初は東京に置かれていましたが、明治41年(1908)に鉄道連隊として千葉に移転、大正7年(1918)には2個連隊に増設されたうちの第一連隊となりました。
この鉄道連隊ですが、戦地における鉄道の建設・修理・各種訓練のほか、敵方の鉄道の破壊工作など当時の軍事輸送機関として不可欠であった鉄道を専門とした陸軍の特殊部隊で、太平洋戦争まで主に満州、中国方面で活躍しました。

さて鉄道大隊の碑ですが、ちょっと古めかしいもので碑の文面も漢語調で書かれています。それもそのはず、この碑は千葉に移転前の明治33年(1900)に中国で起きた北清事変(義和団事件ともいわれる)で、中国でで戦病死した隊員たちをしのんで明治時代建てられたものということでした。

すぐそばには鉄道隊駐屯の跡という小さな石碑も立っています。(写真左側の白っぽい碑です)
いずれにせよ、どちらも目立たない存在でそれとわかっていなければ通り過ぎてしまい、じっくりと碑を観察するような人ってやっぱり物好きなんでしょうね。

東千葉駅

JR総武本線・成田線

 東千葉

ここ東千葉駅を起点に、千葉の軍事施設の跡をたどって市内の椿森、作草部方面を散策していきます。

東千葉駅は千葉駅から佐倉方面にひとつめの駅。千葉駅からはわずか0.9キロという近いところにあります。
この駅は昭和38年(1963)、近くの千葉市民会館の場所にあった国鉄(当時)千葉駅が、都市計画のために現在地に移転したことで、駅が遠くなってしまった周辺住民の便宜をはかって昭和40年(1965)に新設されました。
といっても千葉駅まで歩いてもそう遠くはないし、普通列車しか停まらないため列車の間隔もけっこう空いているということで利用者はそれほど多くはないみたいです。
そのためか、駅には自動券売機があるだけで有人の出札窓口もありません。

 

 東千葉駅前2
駅の階段上から見た駅前です。何となくひっそりとしています。
写真の奥の方が千葉駅になります。こちらはビルが集中してにぎやかそうですよね。